多くの方が一度は経験したことがあるであろうダイエット。しかし、努力してもなかなか成果が出なかったり、せっかく落ちた体重が元に戻ってしまったりと、その道のりは決して平坦ではありません。特にアメリカでは、女の子の約80%が10歳になるまでにダイエットを経験しているというデータもあり、この問題は多くの人にとって身近なものです。なぜ、これほどまでにダイエットは難しいのでしょうか? 神経学者のサンドラ・アアモット氏がTEDで語った内容は、その疑問に科学的な光を当てています。
脳が司る体重の無意識のコントロール
私たちは体重の変化を「食べた量」と「カロリー消費量」だけの問題だと考えがちです。もちろんこれらは重要な要素ですが、それだけでは説明しきれない複雑なメカニズムが私たちの体には備わっています。実は、空腹感の調節や消費カロリーの決定といった、体重に関わる多くの機能は、私たちの意識とは別に、脳が自動的にコントロールしているのです。
長年ダイエットを経験し、成功と挫折を繰り返してきた方なら、この脳の働きに心当たりがあるかもしれません。体重を減らそうと努力しても、なぜか体が逆らってくるような感覚。それはまさに、脳が私たちの体重を一定に保とうとする「ホメオスタシス」という仕組みが働いている証拠です。
セットポイントとホメオスタシス
私たちの体には、体重や体温、血圧など、それぞれにとって最適な状態を示す「正常値」が設定されています。これを「セットポイント」と呼びます。そして、このセットポイントを維持しようとする働きこそが、「ホメオスタシス(恒常性)」です。たとえば、体温が上がれば汗をかいて下げようとし、下がれば震えを起こして上げようとするように、私たちの体は常に最適な状態を保とうとします。
体重に関しても同様で、脳の一部である視床下部が中心となり、このセットポイントを厳しく監視しています。興味深いことに、人の体重のセットポイントにはおおよそ4〜7kgの幅があると言われています。この範囲から体重が大きく外れると、脳は「体重を増やせ!」あるいは「体重を減らせ!」という化学的な信号を大量に送り出し、セットポイントに戻そうとするのです。
進化がもたらした体重維持の戦略
この脳の働きは、私たちの祖先の生存戦略と深く関わっています。コロンビア大学のルーディー・ライベル博士の研究報告は、その強力な仕組みの一端を明らかにしています。体重を10%落とした人では、代謝が抑制され、一日に消費するカロリーが250〜400kcalも減少するというのです。これは、ある程度の食事量に匹敵する大きな変化です。たとえば、200カロリーの食べ物がどれくらいの量かは、こちらの情報も参考にしてみてください。
飢餓が身近な脅威だった人類の歴史において、体が減量に抵抗し、エネルギー消費を抑えようとするのは理にかなったことでした。食べ物がある時にしっかりと体重を増やし、次にいつ食料が得られるかわからない飢餓の時代に備える。過去の人類にとって、餓死は過食よりもはるかに深刻な問題だったのです。
しかし、この進化の恩恵は現代において、私たちを悩ませる残念な結果につながっています。一度上がってしまった体重のセットポイントは、なかなか下がりません。たとえ7年間もの間、体重を懸命に抑え続けたとしても、脳は元の体重に戻そうとする強い信号を送り続けるのです。
ダイエットがもたらす長期的な影響
心理学の研究でも、食に対するアプローチの違いが体重に影響を与えることが示されています。人々を「直感グループ」と「自制グループ」に分類したところ、興味深い傾向が見られました。
食べたい時に食べるという「直感グループ」の人々は、比較的太りにくい傾向があります。これは、彼らが体の自然な信号に耳を傾け、過剰な抑制をしないためかもしれません。一方、「自制グループ」の人々は、食べ物の広告や食べ放題のような環境に過剰に反応しやすく、結果として食べ過ぎてしまう傾向が見られます。ちょっとしたきっかけが、食欲のブレーキを壊してしまうことがあるのです。
特に子どもたちは、ダイエットと過食のサイクルに陥りやすい脆弱性を持っています。長年にわたるいくつかの研究によると、10代でダイエットを経験した少女たちは、たとえ標準的な体重から始めても、5年後には太り過ぎになる確率が3倍にもなることが示されています。多くの人がダイエット開始から5年後には元の体重に戻り、そのうちの40%以上は元の体重よりも増加しているという現実があります。科学的に見ると、ダイエットは長期的に見れば体重を増加させる行為になる可能性すらあるのです。
現実的な体重管理への視点
私たちは「大幅な減量」という目標に固執しがちですが、これまでの話が示すように、脳の強力なコントロール下では、その達成は極めて困難です。この現実を踏まえ、多くの専門家は今、体重を大きく落とすことよりも「肥満の予防」に焦点を移しています。
考えてみてください。もし大幅なダイエットが誰にでも簡単に成功するのであれば、世界中にこれほどダイエットに悩む人はいないでしょうし、誰もが理想のスリムな体型を維持できているはずです。どうして自分だけが、脳の持つ強固な仕組みに逆らって、特別な結果を出せると期待できるのでしょうか。
では、私たちはどうすれば良いのでしょうか。まず大切なのは、自分のセットポイントを知り、五感を満たす食事を意識することです。つまり、過度な制限ではなく、体が求めるものを適量で味わい、満足感を得る食事を心がけるのです。そして何よりも重要なのは、体重のセットポイントを「上げない」ようなライフスタイルを送ること。これが、将来的に体重が増加するのを防ぐ現実的なアプローチとなります。この方法で劇的に体重が減ることはないかもしれませんが、長期的な視点で見れば、健康的な体重を維持するための堅実な道と言えるでしょう。
脳のエネルギー消費と体重管理
私たちの脳は、全身のわずか2%ほどの重さしかありませんが、体全体のエネルギーの約20%を消費すると言われています。これは、脳が私たちの意識的な思考だけでなく、体温調節や心臓の拍動、そして今回ご紹介した体重のコントロールといった、生命維持に不可欠な無意識の機能にも膨大なエネルギーを使っていることの表れです。体重管理の難しさは、この複雑でエネルギーを多く消費する脳の働きと深く結びついているのですね。