みなさんは、もし病気になったとき、「自分にぴったりの治療法」や「副作用の少ない薬」があったら、どんなに心強いだろう、と考えたことはありませんか? 今回は、そんな夢のような医療の可能性を広げる「iPS細胞」の、ちょっと意外な使い方についてお話しします。
以前、TEDでNina TandonさんNina Tandonが行った「再生医学でオーダーメイド医療が実現する?」という講演が、とても興味深い内容でした。私たちが普段考えているiPS細胞のイメージを、ぐっと深掘りしてくれるお話です。
iPS細胞ってなんだろう?
まずは、iPS細胞について簡単におさらいしましょう。iPS細胞は「人工多能性幹細胞」とも呼ばれるもので、京都大学の研究チームが開発しました。体の様々な細胞に変化できる能力(多能性)を持っているため、最近では再生医療という言葉とともに、ニュースなどでその名を聞く機会も増えましたね。
iPS細胞は、ES細胞という別の幹細胞とよく似ていますが、倫理的な問題が少ない点が大きな特徴です。この特別な細胞を使えば、色々な組織を作り出すことができます。
たとえば、動画にあるのは、iPS細胞から作られた心臓のモデルです。驚くことに、この小さな組織はまるで本物の心臓のように、ちゃんと拍動しています。すごい技術ですよね!このように、iPS細胞は将来的に、病気やけがで失われた人体のパーツを補う「代替パーツ」として期待されています。
しかし、Nina Tandonさんは、iPS細胞の持つもう一つの大きな可能性に注目しています。それは、「病気の研究モデル」としての活用です。
薬ができるまで、長い道のり
私たちの手元に薬が届くまでには、実はとても長い道のりがあります。新しい薬が開発されるプロセスを見てみましょう。
薬を合成し、ラボで試験を行い、その後、動物での実験(動物実験)を経て、ようやく人間での安全性や効果を確認する試験(治験)が行われます。これらすべての段階をクリアして、初めて市場に出回るのです。
この創薬のプロセスには、莫大な時間と費用がかかります。新しい薬一つを開発するには、およそ10億ドルもの費用と、約10年という長い開発期間が必要だと言われています。
さらに厄介なのは、医薬品が市場に出た後でも、予期せぬ副作用が発見されることがある点です。もし副作用の発見が遅れてしまえば、多くの人々に被害が及んでしまう可能性もあります。
なぜこのような副作用が起こるのでしょうか? Nina Tandonさんは、主な問題点が二つあると指摘しています。
一つ目は「ラットと人の違い」です。動物実験で安全性が確認されても、ラットと人間では体の仕組みや薬の代謝が異なるため、必ずしも同じ結果になるとは限りません。
二つ目は「同じ人でも僅かな個体差がある」ということです。私たち一人ひとりの体質や遺伝子は少しずつ違います。そのため、ある人には効果的で副作用のない薬でも、別の人には効果が薄かったり、強い副作用が出たりすることがあるのです。
これらの違いが、薬の働きや、体に与える影響に大きく関わってくるわけですね。
自分だけの「病気のモデル」を作る
もし、動物実験よりも、そして一般的な人間に近いだけでなく、その人自身の「個体差」まで再現できるモデルがあったら、創薬の未来は大きく変わると思いませんか?
iPS細胞は、まさにこの願いを叶える可能性を秘めています。
たとえば、ハーバード大学のケビン・エガン研究室では、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病の患者さんからiPS細胞を作り、そこから神経細胞(ニューロン)を生成しました。驚くべきことに、このiPS細胞から分化したニューロンは、患者さんと同じALSの症状を発症したのです。
これはつまり、患者さん自身の病気を持つ細胞を試験管の中で複製し、その細胞を使って病気の原因を探ったり、治療法を研究したりできるということです。まるで、手のひらの中に「自分だけの小さな病院」を持っているようなものですね。
医療がもっと身近に、もっと安全に
このような「疾患モデル」をiPS細胞で作ることができれば、これまでになかった速さで病気のメカニズムを理解し、より効果的な治療方法を見つけられるようになります。創薬のプロセスも大幅に短縮され、新しい薬の開発がもっと簡単になるかもしれません。
さらに、医療はもっと「個人に寄り添う」形へと進化します。例えば、もしあなたが癌になったとして、様々な抗がん剤の中で「この薬が自分に一番効果があるのか」を事前に試して知ることができたら、どうでしょうか? iPS細胞を使った疾患モデルは、そんな夢のような検証も可能にするのです。
今回ご紹介したのは、iPS細胞が持つ無限の可能性のほんの一部です。この画期的な細胞が、私たちの医療をどのように変えていくのか、その未来が本当に楽しみですね。
もしこの話にもっと興味が湧いた方は、ぜひNina Tandonさんの講演動画をご覧になってみてください。